僕は27歳の時に生活保護と自己破産を経験しました。大学生の頃から不眠症であり、夜は眠れず、日中は睡眠薬の副作用で頭が良く働かず、寝不足からの頭痛、頭痛からの食いしばり、肩こり、体調が悪くない日はない…仕事に多大に影響が出ていました。その結果仕事を1年で退職、傷病手当を受け休養、転職しては退職し、日々疲れ、困窮し、最後は生活保護を受けるまでになっていました。
そんな僕にもラッキーはあり27歳の4月から中学の臨時的任用教員としての依頼が来ました。うまくいけば1年後には正規教員として安定して働けると意気込んで教師になったものの…職場でのいじめに合い、今度はたった3ヶ月で退職してしまいました。退職というより、仕事放棄し、遺書を残し僕は逃げました。
そんな僕が死に場所に選んだのは
「タイ(タイ王国:Thailand)」
でした。
本来は副担任でもあったので中学生の夏休みに合わせてタイ旅行を1週間を計画していましたが、結局3週間もタイにいることになりました。
タイを死に場所に選んだ理由、そしてタイで死ななかった理由など3週間で何が起こったのかいくつかの記事を書こうと思います。
この記事を読んでどうか死なずにまた生きたいと思ってもらえるようにがんばります。
序章が結構長めなので、タイの情報だけ知りたい人はどんどん飛ばして読んでください。
「あ…今からタイに行こう」と思った朝6時
中学校の臨時的任用教員をしている時は楽しかったです。子ども達に勉強を教え、部活で一緒に汗をかき、宿題の添削、授業準備を夜まで行い、朝は6時半に出勤し、帰りは22時。それでも楽しかったです。大変だけどやりがいがあり、生活保護から抜け出せた喜びから一生懸命がんばるつもりでした。
がんばって忙しい日々を過ごしていた中間テストの準備の時のこと。僕は初めてのことで何を手伝えばよいかもわからず、主任のコピーだけ手伝っていました。
テスト本番、大量のミスプリが発覚。
主任はテスト問題を多く間違えておりテスト本番は訂正に各教室走り回ることになりました。ただ大きな問題はなく、なんとか無事に終わりました。新人だけど僕ももう少し手伝わなきゃななんて思っていた次の日です。地獄の日。
英語主任(1~3年生をまとめてる立場)から主任とともに廊下に呼び出され、
「テスト問題はどっちが作ったの?」「誰が確認したの?」
と聞かれました。もちろん僕は作ってもないし、確認もしてません。ど新人なので問題作成の何も触らせてももらえませんでした。
その問いに主任は沈黙。(なぜ?)
そして英語主任は僕に同じ質問。もちろん何もしてませんので素直に
「コピーを手伝っただけです。」と言てしまったから?途端ヒステリックに
「問題は確認したか聞いてんのよ!!!!!!!(キエーーーーーーーー)」
…。え、まじか。
主任は黙ってうつむき、俺はよくわからない説教を反論は受け付けられないまま聞き続けました。
さらに英語主任は「全学年に謝れ!!!」
と、もうよくわからないこと言いました。さすがになんで?と思っていると
主任は「わかりました。」
え?え?E?E?e??
僕はよくわからなかった。
子どもに謝るならわかるけどなぜ他の職員に謝るの?名誉棄損?クレームも入ってないよ?なんで??
…。結局、職員室で全学年の先生に頭を下げに行きました。保健室の先生やら体育の先生にまで。なかには「俺らは何もされてないよ?」と言ってくれる先生もいましたが、長い物には巻かれろ感が広がる職員室ではおかしいと大声をあげてくれるものはいなかったです。とどめは副校長。
「これでわかったでしょ。次からは気を付けるように!」
と言われ、その日教員がなぜ辞めていくのかを真に理解した気がしました。
次の日から僕は副校長にマークされ、常に監視され
「掃除の指導くらいしてもらわないとね」
と小言を言われたり、
学年主任に呼び出され「女が多いんだからうまくやれよ」
と言われたり
初めて教員になって、誰の助けもないまま経験者のごとく扱わられ、
どんどん疲弊していきました。
唯一の救いは子どもたちに
「ひかる先生の授業が一番楽しい!俺たちで先生ランキング作ったんだけど、ひかる先生がダントツ一番だったよ!」
と言われたことでした。今でも思い出すとうれしいです。
でも、3ヶ月過ぎた2014年7月8日の朝
ついにドロップアウト
僕はもう眠れなくなっていました。
睡眠薬はすでに限界量飲んでいましたが、眠気は来ず。夜中1時、2時と過ぎていく…
「やばいなぁ…寝ないで仕事は無理だし…あぁまた何か言われるよ…あぁ」
頭は痛いし、目も痛い、眠れないからイライラ焦燥感。
もう嫌だ
でもまた生活保護に戻りたくない。
でも誰も助けてくれない
でもでもでもでもでもでもでも
そんなときです
「あぁ…もう死んじゃおう」
と思いました。
もうこれ以上がんばれないし、気力もない。よくがんばったよね。
あーあ最悪な人生だな
「どうやって死のうかな・・・。」
と思っていたときに目に入ったのが、夏休みに計画していたタイ旅行のガイドブックでした。
どうせ死ぬと決めたなら行きたかった国に行ってからでもいいよなと思いました。じゃいつ行こうか…
あ、今日行こう。今からタイへ行こう!!!!
そう、僕は朝6時にタイへ死に場所を探しに行くことにしたんです!!
実際できるのかどうかネットで調べると
HISです、当日の航空券が買えることがわかりました。しかも振り込みで。
そうとなったら営業窓口が開くまでに海外逃亡の準備です!(笑
僕は急いで必要なものをまとめ、ぜーーーーーんぶまとめました。
パソコンとかもう死ぬしいらない。最後の最後に必要なものだけ持っていこうと
洋服、薬関係、パスポート
部屋はひどく散乱していたけど、もうどうでもよくて
本当に夜逃げのような状態で飛び出した。
銀行で全財産おろして、いざ出発!
ちょうど給料が入った時だったので18万円ありました。
もう家賃のことも何もかもどうでもよくて、現金握りしめて初の海外旅行へ。
まぁ、勢い良く飛び出したものの、タイに着くまでは終始ドキドキしていました。
もちろん携帯電話は職場からガンガン電話がかかってきましたが、機内モードで無視!どうせ死ぬんだし関係ないね!と無視を決め込みました。
空港のチェックの時も「もしかしたら捕まるんじゃないか?」なんてよくわからない不安になっていましたが、飛行機が飛び立つと心はすっかり晴れて、
やっと自由になれました。
「さようなら日本。」
とドラマの主人公のような気分でした。
タイへ逃亡する俺↓
海外旅行の洗礼。日本人は鴨が葱を背負って来るのと同じ。
お金がないので、ベトナムのホーチミンでトランジットしました。乗り換えでです。急に出航したので、乗り換えのことそんなに考えていませんでしたが、ここでもトラブルが。
とりあえず、タイ行きの飛行機が来るまで10時間以上あったので、ホテルでシャワーでも浴びようかと空港の外に大きな荷物を持って出ました。
拙い英語で「安い宿はないか?と」空港の職員に聞くと「1000円で泊まれるホテルあるよ!」というのでタクシーの案内図を書いてもらい、タクシーに乗りました。
「ベトナムはどんな国かな~♪」
なんて考えてたら急に車が止まり運転手が
「10000円よこせ。じゃないと動かさない。」
ほとんど聞き取れなかったけど、確かに金をよこせと言っているのだけはわかりました。
正直すげーーーーーーーー恐怖でした。知らない国で、知らない言語で詰め寄られて。
しかし、この時の俺はすでに捨てる命すらない状態。
「ざけんじゃねーぞーーーー!1000円でホテルが泊まれるのになんで10000円のタクシーじゃあごらーーーーーーー怒」
と大爆発!(笑)
30分以上やり取りして、警察呼べやごらーと騒いでいたらなんとか解放。あずけていたカバンをそこらにポイっと捨てられ、なくなく空港まで60分以上カバンを転がして帰りました。(世界なぜそこに日本人的なw)
相当キレていたんで、景色は思い出せませんが、一つ思い出したのが
そういやタクシー運転手がタクシーの案内の人にチップ渡していたんですよ。なんか変だな~と思ったんだけど国が違うからかなくらいに思ってた。
後で調べてわかったんだけど、
そう、じつはタクシーの運転手とタクシー案内がグルだったのです!
日本人みたいなバカな客がきたら優先的に案内して脅してお金とるんだってさ怒
汚い商売しやがって!!
初の海外旅行で身寄りなしの俺はまさに「鴨が葱を背負って来た」というわけでした。
こんな感じの荷物を転がしていました。
ホーチミンで出会ったメキシコ人。
怒りのまま空港の前に戻ると、空港は夜中は閉まっている。24時間やってないのね…。無知な俺はせめて自販機と探すも…なし。
日本に生まれてすっかり便利になれすぎていたのかも。
がっくりきた俺はとりあえず、座れるベンチを見つけたので休んでいると、
そこに同い年くらいの若者も発見した。
とにかく無双モードな俺は「Hi!」と話しかけた。
イケメンお兄さんも海外旅行中。大学の長期休暇らしい。
すごい英語うまいけどメキシコ人でした。
どうやら親日家で、柔道空手をやっていたらしい。
まぁまぁ話が盛り上がって3時間。最後はメキシコの硬貨を記念にくれました。
捨てる神あれば拾う神あり。悲しい洗礼の後だったので、人のやさしさに触れた瞬間でした。
空港が開き、やっとバンコクへ!ホーチミンからは飛行機で2時間くらいです。
長い序章でしたが、やっとの思いでタイに入国できました。
タイは日本人なら観光ビザがあるので、航空券があれば30日滞在できます。(詳しくは外務省のHPへアクセス!)